駿河を治めた戦国武将今川義元は、幼少時この善徳寺で太原雪斎(だいげんせっさい)に養育されました。善徳寺を天文年間(1532~54)の武田、北条、今川の「甲相駿三国同盟」締結の舞台とする史料もあり、この時期には河東(富士川以東)第一の伽藍(がらん)として繁栄したと伝えられていますが、永禄12年(1569)武田氏の駿河侵攻により焼失したとみられています。善徳寺公園のなかには大勲禅師と太原雪斎の墓があり、市の文化財として指定されています。

 

 

 

【地域情報紙ぶらりっと。2017年7月号掲載記事】

PICK UP!!